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【追憶】2018年3月16日~旅立ちの日~

2018年3月16日
この日は僕が修士課程を修了し、上京した日だ。
今日はこの日のことについて、記憶の限り書いていこうと思う。

この日の朝、僕は温泉旅館にいた。
僕の学生生活の終わり
それを祝したいと言い、両親が弟を引き連れ駆けつけてきたのである。

時を一日巻き戻そう。

遡る事一日前、僕は下宿の大掃除をしていた。
この日部屋を空けなければならなかったのだが、それを言い換えればこの日まではこの部屋と生活を共にしていたということ。
六年間を共に過ごしたこの部屋が片付いていく様子は、なんだかとても切ない気分になった。
(ああ、そっか、俺本当にここからいなくなっちまうんだ…)
そんなことを思いながら片付けていると、午後3時ごろに両親が来た。

「おう、準備できたか?」
父が聞く。それに対して僕は
「うん、大体ね」と答えた。

このとき、僕は新居に送る用の荷物とリサイクルショップに売る用の荷物に分けていた。
新居に送る用の荷物は両親が車に乗せ、黒猫ヤマトに送り届けてくれた。
父は安さに感心していた(笑)
リサイクルショップに売る用の荷物に関してだが
「もう旅館に行かなきゃならないし、こんなの売ったってたいした値段にならないんだから置いてけ」
と言われ下宿に置いていくことにした。
あのサーキュレーターや電気ストーブはまだ使われているんだろうか?

また、経年劣化のせいだろう、衣類を入れるタンスは閉まらなくなっていた。
見かねた父が直してくれたのだが、タンスの下にTシャツが二枚落ちていた。

その後、解約のための各種手続きを済まし、大家さんに別れの挨拶をし、旅館に向かう。
…はずだったのだが、「忘れ物がないか確認したい」と言い、僕はもう一度部屋に向かった。

僕がもう一度部屋に向かった理由…
それは、この部屋にも別れの挨拶をしたかったからだ。
「今日でこの部屋ともおさらばだ、今までありがとうな。また会う日…はないだろうけど(笑)この部屋に住めてよかったよ」
そう言い残し、もう一度両親のもとに向かった。
上京前最後の一日は、家族とともに過ごした。

次の日、朝食前に温泉に行くと、そこには研究室の同期がいた。
彼もまた最後の日を家族と過ごしていたようである。

朝食を食べ終え、身支度を済ませ、卒業式会場へと向かった。
大学の卒業式は二回目ということもあり、特に何か思うこともなく終わった。
余談ではあるが、僕は卒業式で泣いたことが一回もない。
そういう人は意外と多いのではないだろうか?

卒業式を終えると、両親が大学まで送ってくれた。
「まぁあっちでも頑張れや!」
父はそう言い残し、去っていった。

大学に来たのは訳がある。
僕はまだ修論を製本し、提出していなかったのだ。
研究室に戻り、作成を始めた。
資料は出来上がっていたので、あとは印刷するだけ。
ただ、その量はえげつなかった。
論文だけでなく、参考文献や、学会発表に用いた資料等も製本しなければいけなかったのである。

僕は服を着替えると。すぐに作業を開始した。
作業をしている最中、教授がやってきた。
なんでも卒業生の写真を撮りたいというのだ。
僕はもう着替えていたので、スーツ姿の奴らとともに写真に写った。
そうこうしているうちに、バスに乗る時間が迫っている。
けどもう製本する時間はない。教授に尋ねた。
「印刷はできたんですけど、製本する時間がありません!」
すると「後輩に綴じてもらえ!」と答えてきた。
僕は製本を後輩に託し、研究室を後にした。
あの紙の山は製本はされているんだろうか?

大学は坂の上、空港行きのバス停は坂の下にある。
その坂のちょうど真ん中にコンビニがあるのだが、僕はそこでお茶を買った。
お会計の際、コンビニのおじさんにこう言われた。
「おう、ついに卒業か」
ああ、そうか…もう終わりなんだ…
そう思いながらバス停へと向かった。
バス停は僕の住んでいた下宿の目の前にある。
バスに乗る前に、僕は下宿を眺めた。
「ああ、今日で本当にお別れだ、今までありがとうな…」
そう言い残し、僕はバスに乗った。

荷物を預けバスに乗車すると、ドアが閉まりバスが動き始めた。
(ついに学生生活も終わりだ!東京でも頑張るぞ!)
そう思いながらふと外を眺めると

雪が降っていた

過ぎ去っていく見慣れた景色、別れを惜しむように降り続ける雪、走馬灯のように甦る6年間の思い出…
涙が溢れ出てきた。そしてそれは、空港に着くまで止まらなかった。
空港についてからは涙は収まったものの、飛行機に乗ってからはまた涙が流れた。

こうして、僕の学生生活は幕を閉じた。

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羽田空港に到着した後、僕はバスの時刻表を眺めた。
「亀有行きのバス、1時間後じゃねーか!」
…そう、僕は亀有の不動産屋で家を探していた。
なので鍵は亀有で受け取る算段となっていた。

僕は電車に乗った。大きなスーツケースを抱えて。
時間は確か夕方5時半~6時半、帰宅ラッシュの時間である。
帰宅時間帯の山手線の混雑は半端でなく、大きなスーツケースを抱えた僕は乗客たちから白い目で見られた。

西日暮里に着いたとき、僕は不動産屋に電話した。
「到着が6時半ごろになりそうだ」と。
不動産屋さんは「あー、全然大丈夫っす!」
と言ってくれた。
3月の不動産屋、恐るべし。

不動産屋に着くと、担当のお兄さんが爽やかな笑顔で迎えてくれた。
「長旅でしたね!」
「そうですね」
そんな会話を交わした後、鍵を受け取った。
あのお兄さんの笑顔は、悲しみに暮れる僕を東京へと迎えるには充分だった。

グーグルマップを辿り、新居に着いた僕は家の扉を開けた。
さあ、新生活の始まりだ!

…部屋はとても暗かった。そして国道の車の音が響いていた。
廊下の電気はつくものの、寝室の電気は新調しなければならなかった。
そんなものは後回しだ、まずは布団を買いに行こう!
そう考えた僕は、急いで布団を買いに行った。
時刻は確か20時半を過ぎていた。
なんとか閉店の21時に間に合った僕は、ほぼ即決に近い形で六千円の布団セットを買った。
店を出ると、外は雨が降っていた。
新生活の始まりは悪天候とともに始まったのだった。

家に到着し、布団を部屋に入れると、無性に空腹感に襲われた。
もう時刻は21時を過ぎている、今から飯屋を探すのも面倒だ。
そう思った僕は、家の目の前にあるファミリーマートへと向かった。
上京前に住んでいた街にはファミリーマートなんてない。
今となっては当たり前となってしまったが、当時は新鮮だった。
弁当を買い、家に戻った。
まだテーブルなんてものもなかったし、薄暗い台所で弁当を食べた。
薄暗い台所で一人で食べる無機質なコンビニ弁当の味は、今でも忘れられない。
明るい食堂で食べるおばさんの手料理の味を思い出し、また涙が溢れてきた。

ご飯を食べ終わると、次に考えることはこれだ
「まだガス開通してないし、どっか銭湯にでも行こうかな?」
僕はスマホで調べた。どうやら駅の近くにカプセルホテル兼銭湯があるらしい。
僕はそこに向かった。その日は金曜日ということもあって、駅前は賑わっていた。

その銭湯はなかなか綺麗な銭湯だった。
湯船に浸かりながら
「あー、やっぱ風呂はいいなぁ」
そんなことを思いながら銭湯を後にし、家に戻った。
その後布団を敷き、ストレッチをして寝た。

こうして、僕の上京初日は終わった。
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