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胸懐~GLAYから学ぶ成功者の秘訣~

こんばんは
今日も飽きずにGLAYのお話です。


先日、彼ら4人の生き方について書かれた本「永遠の1/4」とリーダーであるTAKUROさんの半生が書かれた本「胸懐」を読みました。
どちらもなかなか面白い本でしたが、彼らが何故日本一のロックバンドになれたのか?
その謎が解けたような気がしました。
今日は5つの視点をもとに、その謎を紐解いていきます。

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1.信頼できる仲間を集める

僕がいつだかに飲み屋のおっちゃんに言われた印象的な言葉があります。
いい仕事ってのは一人じゃできねぇ。みんなで力を合わせてひとつのことを成し遂げるんだ。

そのために必要なもの、それはいろんな人を味方につける、巻き込み力!
…TAKUROさんはこの巻き込み力が途轍もなく高い人です。
後ほど詳しく述べますが、TAKUROさんは中学生のころに音楽に目覚めました。
その後、高校から本格的にバンド活動を始めたのですが、GLAYはTAKUROさんがメンバー3人を巻き込んで出来たバンドです。
まず、TERUさんは小学校からの幼馴染だったようで、高校では別々の学校に進学したのですが、風の噂でTERUさんが学園祭のとき、先輩バンドの手伝いでドラムをやっていたことを聞きつけたそう。
そしてある日、TERUさんに電話します。

「なぁテッコ、俺とバンドやらない?」
「うん、いいよ!」
…ずいぶんとあっさり決まってしまい拍子抜けしたそうですが、なんとTERUさんもバンドやりたいと思っていたそう。
TAKUROさんからの誘いが来たときには棚から牡丹餅が落ちてきたような感覚だっだでしょうね(笑)
TERUさんはびっくりするほど即決で物事を決めるのですが、一度決めた約束は必ず守る男だとTAKUROさんは述べています。

…この性格が後述のエピソードにもつながるのですね。
最初TERUさんはドラムをやっており、当初GLAYはボーカルが不在でした。
そんなある日のこと、TERUさんがTAKUROさんの作ったカセットテープに自分の声を吹き込みました。
それを聴いたTAKUROさんは、腰が抜けるほどの衝撃を受けたそうです(笑)
「おいテッコ!お前ボーカルやれ!」

…こうして、ボーカルTERUが産まれたのだとさ。
HISASHIさんとTAKUROさんは同じ高校で、違うバンドを組んでいました。
好きな音楽は違うものの、ギターの腕は認めており面識もあったそうです。
そんなある日、HISASHIさんのバンドが解散したことを知ったTAKUROさんは
(アイツとツインギターやれば面白いんじゃね?しかもアイツイケメンでモテるし、女性ファンごっそりいただき!)

という理由でHISASHIさんを巻き込みます。
TAKUROさんの着眼点半端ないね(笑)確かにツインギターは音に厚みがあります。
この3人はGLAY結成以降ほぼ不動だったのですが、他のメンバーがなかなか定着しなかったそうです。
それはこの3人の絆が強すぎて、東京の人間が入り込む余地がなかったからだとも述べられています。
TAKUROさんが売れない時期を乗り切れたのも、この3人の絆があってこそであると。
そんな矢先、この男に出会います。
…そう、JIROです。


JIROさんは3人の1年後輩にあたります。
高校時代から彼らと面識があり、対バンも行っていたとか。
そんなJIROさんも、当時東京で必死にもがいていたGLAYの姿に憧れ、高校卒業後東京へと旅立ちました。
JIROさんがやっていたバンドが活動休止していたある日、新宿ロフトで行われることとなったGLAYのライブに誘われついていったそう。
その際、TAKUROさんに
「良かったら今度ベースを手伝ってくれない?」

と声をかけられ、そのままGLAYに加入したらしいです。
同じ函館出身のJIROなら、GLAYに馴染めるんじゃないか?という期待があったそうな。


TAKUROさんが音楽をするためにバンドという形式を取ったのには、彼の抱くコンプレックスがあったためだそうです。
歌が歌えないしイケメンでもないし、曲は作れるけどギターは下手。
TAKUROさんの持っていないこれらのものを、この3人は持っていたのです。
(こいつらとなら何かデカいことができるんじゃないか?)

そう思わせるような人との出会いはそうそうあるものじゃないですが、この3人にはそう思わせるだけのものがあったそう。
彼らは1人ではまず頂点は取れません。

ですが、4人で力を合わせれば日本一のバンドになれるのです。
「いい仕事」つまり「いい音楽」は4人の力が一つになってできるものなのですね(^^)


2.成功するまで諦めない

函館からはるばる東京へとやってきた3人でしたがその生活はというと、なんと2年間観客0の状態が続いたそうです。
さらに、当時の東京のバンド界隈では派閥があったようで、函館からやってきたGLAYはそこに入り込めず干されたこともあるそうな。
そんな状態が続いたとき、TAKUROさんは本気でGLAYを止めようと思ったそうです。
夜中にTERUさんに電話します。以下がその内容です
もう諦めないか?俺には才能がないんだ。彼女にもフラれるしさ…この先どれだけ続けても同じことだよ。

GLAYなんかやめて、函館へ帰ろう?
…ボロボロじゃないですか!

しかし、そんなTAKUROさんに対し、TERUさんはこんな男前な返答をします。
なにいってんだ!俺らはまだ何一つやってないじゃないか!やめてもいいけど、それは何か結果を出してからのことだ!

俺だって負けそうになることはあるよ?でも俺は絶対に負けないよ!大体何しに東京に来たの?帰りたいなら勝手に帰ればいいよ…!
…いや、だからアンタカッコよすぎるんだって!笑

TERUさんの言いたかったことはつまりこうです。
もっと曲を作れ。お前の作る曲ならいくらでも歌ってやる。成功するまで続けよう。俺は諦めないから。


…自分、惚れていいっすか?笑

だって、自分の親友にこんなこと言われてみ?やめようなんて絶対思わないよね?
僕はこの逸話が本当に好きで、今回の記事もこの逸話を紹介するために書いたようなものなのです(笑)

もしここでTERUさんが
「あぁ、ムリムリ!音楽なんて止めちまおうぜ!」
と言っていたら…?
間違いなくTAKUROさんの才能はここで死んでいたでしょう。
きっとTERUさんはTAKUROさんの才能を信じていたんじゃないかな?
信じていたからこそ、それがここで死んでしまうのを見過ごせなかったのです。
彼にとってGLAYを続けることはギャンブルではありません。
必ず成功するという確信があったのだと思います。そう、自分の親友であり偉大なる作曲家、TAKUROの下でなら…
そうして再起したTAKUROさんは、どんどん曲を書き続け、いつしかあのYOSHIKIにも見込まれるまでに成長します。
…しかしそこで終わりではありません。
YOSHIKI監修のもとで作られたデビューシングル「RAIN」は10万枚ほど売れましたが、その後なかなか売れずに苦しみました。
「彼女の“modern…”」をリリースした際には、あまりにも売れなさ過ぎてメンバー会議まで行ったそう(笑)
それでもめげずに曲を書き続け、ついに「Yes, Summerdays」がスマッシュヒットを飛ばしました。
この曲で得た印税で母親の借金を返したときには途轍もなく嬉しかったと述べています。
なんでもその当時、長年の過労からかTAKUROさんの母親はマルチまがいの宗教に引っかかっていたそう。
そのせいでこさえた借金だったようです。
TAKUROさんがいくら説得しても洗脳は解けなかったのですが、印税使って借金を一発で返済しきった瞬間
私は何をやってたんだ!

…実の母親を救い出すことに成功しました。
僕はこの逸話も結構好きです。
カネの持つ魔力、そしてそれとどう付き合うか?それがこの逸話の中に詰め込まれているような気がします。

3.「やりたいこと」にお金は関係ない

こうして売れない時期を脱し、もはや一生遊んで暮らせるくらい稼いでいる彼らですが、未だに活動を続けています。
それだけでなく、2年間観客0で1円も稼げない状態が続いても彼らは諦めませんでした。
それは何故でしょう?
僕が思うに、彼らはお金のために音楽をやっていたわけではないんですよね。
彼らの求めていたものはお金ではなく、より多くの人々に自分たちの曲を聴いてもらうこと、或いはそれによってより多くの人の心を動かすことなのではないかと思います。
要するに、お金があろうがなかろうがやるくらい音楽が好きなのです。
それぐらい音楽が好きだからこそ苦しい下積み時代も乗り切ることができたし、日本一のロックバンドになることができたのではないか?
僕はそう思っています。
そもそも金目当てでバンドやるような人たちなら最初の2年で止めてますよね(笑)

4.「なりたい理想像」を作る

TAKUROさんには憧れの人がいます。
…そう、ジョンレノンです。
彼が中学生の時、たまたま安く売っていたビートルズのカセットテープを買ったのがきっかけだそう。
彼はここからどんどん音楽にのめり込んでいったそうな。
GLAYを結成してからも、ビートルズは彼にとって一つの指針であり、心のライバルだったようです。
そんな彼に、人生の転機が訪れます。
それは彼が中学2年生の時のこと、彼はFMラジオで10日連続ビートルズ特集が行われることを知りました。
当時彼はサッカー部で、皮肉なことにその週はサッカーの大会と日程が被っていたそう。
彼は悩みます。彼の持っていたラジカセに、タイマー録音という便利な機能はついていなかったのです。
大会に出ればビートルズが聴けない…ビートルズを聴けば大会に出られない…
そうして彼は決心します。
「先生、俺、サッカー部やめます」


…えええええええええ!!!!!
いや、アンタマジかよ!?
たかがラジオ番組ですよ!?サッカー部やめるほどのことですか!?

ですが、この決断が彼の人生を大きく変えることになります。
彼は通信販売でギターを買い、作曲とギターの練習を始めたのです。
ここから彼の人生は、音楽一筋となります。
そしてもう一人の理想の人…そう、前回述べた成功とともに別れた彼女です。
ジョンレノンよりも深く影響を受けた人だとも述べられています。
彼女は牧師のような人で、初詣に行けば
「世界の平和を祈った」
といい、また、彼が「Yes, Summerdays」によって得た印税で何かプレゼントしようとしたときも
「1万円募金したら15人にきれいな水を飲ませてあげられるんだよ!」
というような人だったそうです。
「global communication」は彼女の「もっと広く世の中に目を向けよう!」という言葉からアイディアが生まれたそうな。
勿論TAKUROさん個人だけでなく、GLAYというチーム全体での理想像も存在します。
それが、かの有名な「ウッドストック・フェスティバル」です。
彼らは高校生のときこの映像を観て
「こんな人の海を見ながらライブやりたい!」

と誓ったそうです。
…たった10年ほどで叶えてしまうところが凄いですね(^^;)


このように、「これがやりたい!」というものを見つけた上で、「こうなりたい!」というビジョンが描けたらあとはもう突き進むだけです。
逆にこの2つがぼやけていると、いくら何かをがんばっても
「あれ?俺、何のためにがんばってるんだ…?」
となってしまうんですね(笑)

5.成功者=お金持ちではない

皆さんは「成功者」と聞いてどのような人をイメージするでしょうか?
金銀財宝、全身ブランドに高級外車…
そんなド派手な消費生活をイメージするのではないでしょうか?
いえ、違います。成功者とは金持ちでもなければド派手な生活をする人でもありません。
以下、そのことについて述べていきます。
TERUさんとTAKUROさんが高校卒業後就職した会社はかなり激務の会社で、夜中の10時くらいまで仕事があることもざらだったそう。
ですが、3食付の寮に月1万ほどで入れるうえに、給料も悪くないのでそこそこ貯金もできたそうです。
ある日、TAKUROさんが先輩に呼ばれて部屋に入ると、そこにはドデカいオーディオがあったそう。
それだけではありません。いいバイクに大きなテレビ…
この寮には煌びやかなモノで満ち溢れていました。
夜中の10時くらいまで仕事をし、しかもそんなものを見せられたら流石に心が揺れ動くでしょう。
「音楽なんてやめて、消費の波に溺れようか…」
なんてね。
しかし、そんな中でもTAKUROさんは
「安定した生活は甘い罠だ」
と自分に言い聞かせ、なんと3ヵ月で仕事を辞めてしまうんです。
それに続くように、TERUさんも仕事を辞めました。
彼らにとって煌びやかなモノは重要ではないんです。

大切なのは「音楽」という形のないもの。そしてそれを生み出し続けること…
そうです!成功者とは消費者ではなく、生産者なのです!
彼らは日本一のバンドになるという夢を追い続け、より良い曲を生み出し続けてきました。
成功者とは自分の夢に挑戦し続け、そして僕たちに価値あるものを与え続ける人のことを言います。

彼らの手にした莫大なお金は、彼らの生み出してきた楽曲達の持つ価値です。
音楽で10億稼げるということは、彼らの生み出す楽曲には10億の価値があるということなのです。
まぁ10億は推定ですが、彼らはそれぐらい軽く稼いでいるでしょう(笑)
最後にTAKUROさんの言葉の中で一番好きな言葉で締めさせていただきます。ありがとうございました。
夢は旅のようなもの。歩き続けさえすればいつかはきっと行きつける。
   
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